STUDY for FUTURE #01

STUDY for FUTURE #01

「私たちは未来に偏執的である」と、そういう気分に囚われることがある。

私たちにとって、未来とは一体どういうものだろう。来るべきもの?目指すべきもの?私たちのこの時代にとって、未来とはいろんな尺度を持って迎えられるもので、1年後を未来と呼ぶ者がいれば、10年後、30年後、100年後をそう名指す者もいる。私たちはみな少なからず未来に対し畏怖を抱いているし、同時に期待だって抱いている。

未来を「知る」というよりも「予測する」という方が語義的には正しいものの、私たちはついその畏怖からか「未来を知りたい」と願ってしまう。未確定のものに対し確固たるものを欲しがるのは愚からしい姿勢のようでもあるが、いくつかの予測から大きな流れを考察したり、自身の意見を明確にすることは有益である。
特にそういった話は酒の席にちょうどいい。

 

さて、前置きはそのくらいにして先週の私たちがシェアした「未来について」の記事からいくつかの考察を。

 

●WIRED:「説明できること」の先にある科学の未来:伊藤穰一

>> https://wired.jp/2018/07/08/the-limits-of-explainability/

AIと人間の知能を比較しながら、人間が「知覚デバイスとしての身体」を持つがゆえに備える「直感という知」をどのようにAIが獲得するかを考察した記事である。

マサチューセッツ工科大学(MIT)教授のジョシュア・テネンバウムが率いるチームは、脳にはいわば直観的な物理演算エンジンとでも呼ぶべき能力が備わっているという仮説を立てた。人間が五感を通じて収集する情報は不明確で大量のノイズを含んでいるが、わたしたちはそれでも、その先に何が起きるのかを推測することができる。それによって外に逃げたり、米袋が倒れないように慌てて抑えたり、耳を塞いだりするのだ。

AIや自動演算器の役割のようでもある、あらゆる統計学的なデータの演算から導き出せるものは「予測」と呼ばれるが、それに対し私たちは「予感」と呼べる文脈知と経験値による「直感的な物理演算」を行なっている。これまで「予感や直感」あるは「本能」とかいった非科学的な人間力については軽視されてきた、「非科学的だ」とか「スピリチュアルだ」とかいった侮蔑はその現れである。しかし、私たちの「直感」は本当に不要なものだろうか?アイデアが閃いたことを示す視覚的表現は慣例的に「電球がついた絵」によって表されるが、あの表現は私たちの脳内による「数学的演算が完了した」ことのみを示すものだろうか?
これは一種の言い訳のように聞こえるかもしれないが、デザインの現場では理論と直感が入り混じる。「表面的には文脈破綻しているが、美しい理論であることは間違いない」そういうことは日常的に起こる。私たちはそれを「ジャンプ」と呼ぶが、そのすべてを言葉で説明することは難しい。ものには「言語化できることの価値」「言語化できないことの価値」両者が存在する。それが私たちの大事な価値観でもある。

それを超えたところに科学の未来がある。わたしたちはこれまでの世界認識を超越する何かを発見し、先へと進んで行くのだ。

「説明できること」の特異点とは非科学的なようで非常に科学的である。そういうロマンチシズムに未来を感じてしまう。私たちが未来に期待してしまうのはこういう可能性にこそあるように思う。

 

●事業の時間軸 / Longer is Better? ビジネスのための未来学:IF Inc. 小塩篤史

>>https://www.slideshare.net/kossy54/ss-104977686

こちらはスライドシェアの資料から。
「未来学」という聞きなれない学問の名から始まるが、wikipediaによると下記のようなものだ。

未来学(みらいがく、英: futurology)は、歴史上の状況を踏まえて未来での物事がどう変わっていくかを詳細に調査・推論する学問分野である。ドイツ人教授 Ossip K. Flechtheim の造語であり、1940年代中盤に確率論に基づく新たな学問を提唱したものである。

wikipedia / 未来学

あらゆる研究領域の中心に未来学があるとし、イノベーションや事業構想の基礎学問であるとしている。
下記の図はスライドの一部をリライトしたものであるが、事業プログレスにおける「MPD」と「MBA」両修士の役割をそれぞれ示している。

MBAではケースブックメゾッドによる教育を元に経営管理を学ぶものある一方、MPD(事業構想修士/Master of Project Design)はでは過去の環境における参考事例としてケーススタディを取り入れつつも、社会構造の変化や科学技術の進歩を背景にした新たな事業機会の創出に主眼を置くものであり、上記では「企業理念における事業の構想や計画」がその専門領域としている。

事業酵構想の評価ポイント
【使命感】 なぜその構想に挑戦するのか?なぜその構想に対する強い思い入れがあるのか?
【独創性】 ほかの構想と比較して何が独創的か?独創的な洞察や問題定義があるか?
【持続可能性】 どのように顧客を獲得するのか?経営資源をどのように確保するのか?リスクにどう向き合うのか?

ここまでは一般的な事業創造やイノベーションにおけるメゾッドとおおよそ共通だが、

未来洞察
想像した未来と予測される未来。確実性の高い未来予測と低い未来予測。様々な未来動向に関する情報を咀嚼し、起こしうる未来の兆しを見出すことで、事業領域を策定する。

この未来洞察視点を加えることが事業を長期的に見据え、中計病疾病への治療薬となり、北極星の座標を得る磁針となる。そしてその未来は下記の4つに分類することができる。

【4つの未来 】
予測可能:人口・高齢化率、所得・消費動向
シナリオ的:国際条約、法律・政治、国際情勢、社会の技術受容
トレンド予測可能:コンピュータの未来、文化・流行の推移
予測不可:50年後の未来

事業創造のために未来洞察を用い、その可能性を最大化する一連の思考訓練が当資料の目的である。
専門的で深い技術や知識よりも、広範で柔軟な視点の切り替えを要する未来への洞察は一筋縄ではいかないながらも、いくつかの短期〜中期の目標をクリアしながらより長期的な事業成長を目指す手助けをしてくれる。

 

●2018 Design & A.I. Report:和訳版

>> https://design.bizreach.co.jp/wp-content/uploads/2018/07/7e3f865afeacb54a4327d1148b01ca0f.pdf

人工知能(A.I.)とデザインの関係性を示す研究レポートです。和訳版はビズリーチさんのデザイナー有志が起こしてくださったそう。大変感謝申し上げます。
この中に記されている大きなトピックとして、デザインによりハンドリングされるものを「もの」と「こと」とし、前者を量として取り扱いや計測可能であるデータなどであるとした上で後者を非構造的な多様性であるとする。
ここで「デザインクリエイティブ」という表現がされるが、その多様性の具体的には取り扱うデータの領域横断性である。それはたとえばブレストなどで「話は変わるが〜はどう?」と提案されるような話題の転換のようなものである。

上記図は私たちがTopic Chainと呼んでいるものだが、このように議論のスタート(大課題)からどこまでチェーンを横断するかによってソリューションの品質は大きく変わってくる。

このトピックの転換を本資料では「デザインクリエイティブ」であるとしている。
この点は非構造化データであるため、プレイヤーの脳内でブラックボックス化しているためビックデータ化しづらいものである。

加えて本資料の中で「クラシックデザイナー」「計算デザイナー」という対比があるが、もともとデザイナーとは「構想」と「具現」をスキルとして兼ねるものであったため、「クラシックデザイナー」とは具現化スキルに、「計算デザイナー」とは構想スキルの方にそれぞれ比重を置いたものであると考えることができる。前者の人間的なものであるように思われてきたものが結果定性的なものとしてビックデータ化していくのは大変興味深い、上のWIREADの記事に繋がる議論であると感じる。

さらにp21の下記の議論は非常に興味深い。

機⽐率(マシンが担当する⽐率)の増加に対して、脳⽐率(⼈間が担当する⽐ 率)が増加する業務もあれば、減少する業務もある。更に、機⽐率が増加するほど、⼈類の脳が進化する業務もある。 デザインは必ず後者に属する。

ここで言及される「機⽐率」が具体的にどのようなワーク内容であるかまでは詳細にないが、デザインはより機⽐率を増加させる方が人間の脳が進化するという議論。進化するのは当然前述の「計算デザイナー」としての能力である。

またさらに、p30-32では教育、人文知、EQとデザインの関係性について導かれている。p29の学生からのアンケート内「長期的に必要なデザインスキル」として行動心理が一番に挙げられている通り「人間とは何か」という議論からデザインは自由になることはないし、それは依然私たちにとって大きな喜びでもある。

⼈類がある問題を解決しようとするときには、系統的かつマクロ的な視点が⽣まれ複雑な「全体⽣態」が増強される。そこにあるのは、単⼀な価値観ではない。私たちが⼤量の単 ⼀データを利⽤して⼈⼯知能を訓練する場合、⼈間がもつデザイン知能で、この「全体⽣態」を確保しなければならない。

本資料は上記で締められているが、ここからさらに「知能のデザイン」の必要性についても議論を深掘り派生することができる。

が、それはまだ別の機会に。

 

Thank you! We love you.